NXJI

野田佳彦元総理大臣をお招きして特別公開講義を開催しました

2024/11/29

2024年11月21日、一般財団法人 ネクストジャパン・イニシアティブ(以下NXJI)は東京都港区のザ・プリンスパークタワー東京にて「『令和政経義塾』特別公開講義」を開催しました。

2024年7月、NXJIは政治の内外から変革を起こす次世代の政治リーダーと政策起業家を育成すべく「令和政経義塾」を創設し、同時に第1期生の募集を開始しました。170名を超えるご応募をいただき、2024年9月に第1期生40名の活動がスタートしました。

これまで、船橋洋一NXJI会長やジェラルド・カーティスコロンビア大学名誉教授らの政策立案に関わってきた方々や現役政治家の方々にご講義いただいてきました。第11回目の今回は、野田佳彦元首相をお迎えした週次講義を特別公開講義として開催しました。その様子をレポートします。

まず初めに、10月に行われた衆議院議員総選挙において、議席を獲得した義塾生の4名に、これまでの活動の振り返りと今後への抱負を語っていただきました。また、招待を受けて参加した、初当選の先生2名にもご挨拶いただきました。

野田元首相にはご多用の中、1時間の講義、その後30分の質疑応答にお時間を割いていただきました。首相経験者でしか語れないお話をいただき、政治家としての言葉の力は卓越したものがあることを会場全体が実感しました。

講義後は野田元首相を交えて、懇親会を行いました。普段はオンラインで活動し、当日は現地参加した義塾生、招待者、NXJI役員も参加し、未来志向の話に花が咲きました。

今後も長期的な視野をもち、全体最適的でグローバルな政策を志向する政治家や政策起業家の輩出に向けて活動を行ってまいる所存です。

議席を獲得した義塾生4名の挨拶

阿部圭史先生(日本維新の会)は、兵庫2区から衆議院議員として選出され、これまでの経験と政治への志を語りました。

医師として在宅医療に従事し、厚生労働省職員として医療・介護政策を立案し、さらに国連WHOで国際的な医療問題に取り組んできた経歴を振り返り、「人々が安心して暮らせる社会を実現するため、日本の政治を立て直す決意」で国政に挑んだと述べました。

在宅医療の現場で一人ひとりに寄り添い、膝詰めで悩みを聞く「泥臭い活動」が原点であると強調。野田元首相の「どじょう演説」への共感を示し、新人議員としても同様に地に足の着いた取り組みを続ける覚悟を表明しました。

また、令和政経義塾での学びを通じ、超党派の議論の重要性を訴え、憲法改正や社会保障改革など多くの課題に取り組む意志を示しました。最後に支援と協力を呼びかけました。

福田かおる先生(自民党)は、東京18区から当選した経緯を語りつつ、政治家としての志を述べました。2008年に農林水産省に入省し、14年間国家公務員として働いた経験を振り返り、「農業界を変えたい」という意気込みでスタートしたものの、挫折を味わったこともあったと明かしました。しかし、仲間と共に政策を進める中で規制や予算が変わり、人々の生活に影響を与える喜びを実感したことが、政治の世界を志すきっかけとなったと語りました。

また、超党派の重要性を強調し、他党にも日本を良くしたいと願う同志がいることが励みになったと述べました。野田元首相とのエピソードも交え、政権交代時や留学先のニューヨークでの講義を通じて、政治家として学んだことへの感謝を表明しました。激動の時代において、令和政経義塾の仲間や支援者と共に、この国を子供や孫の世代にも誇れるものにしたいと力強く訴えました。最後に、志を忘れず変革を続ける決意を述べました。

三角創太先生(立憲民主党)は、埼玉16区から比例復活で初当選した経緯を紹介し、自身の政治的志を語りました。大学時代に野田元首相の弟子である手塚仁雄議員の下でアルバイトをした経験が政治の原点であり、「いつか国政の舞台に立ちたい」という夢を抱き続けたと述べました。卒業後、三菱UFJ銀行で勤務し、2016年に退社。その後、8年半の政治活動を経て、3度目の挑戦で議席を獲得した苦労を振り返りました。

政治の主軸として掲げるのは教育の無償化です。母子家庭で育った経験から、経済的理由で勉強を諦めざるを得ない子どもたちを目の当たりにし、教育の機会均等を実現したいと強く訴えました。また、財務・金融分野での職務経験を活かし、物価高などの課題に取り組む意向も示しました。令和政経義塾で若手政治家と共に学び、長期的視点で政策を議論する意欲を表明し、最後に国民への感謝と支援を呼びかけました。

水沼秀幸先生(立憲民主党)は、千葉4区から当選し、野田元首相の後任として議席を受け継いだ経緯を語りました。小学校6年生で野田元首相に国会見学で出会い、意地悪な質問をしたものの、その真摯な対応に感銘を受け、「この人のようになりたい」と政治家を志した原点を述べました。平成生まれ初の子育て国会議員として、4人に1人を占める平成世代を代表し、少子化や子育て政策に取り組む意欲を表明。さらに、10年間の民間企業経験を活かし、経済政策や物価高対策にも注力する姿勢を示しました。

令和政経義塾では、若い世代ならではの視点を活かし、答えが一つに定まらない課題に向き合い、超党派で新しい解決策を模索することを強調。特に少子化や環境問題などに、長期的かつ全体最適の視点で取り組む考えを述べました。また、野田元首相から学んだ「中庸の政治」と「お金のかからない政治」を信条とし、極論に偏らず一致点を見出す政治姿勢を貫く意志を表明しました。最後に、仲間と切磋琢磨しながら、より良い日本と世界の実現に尽力する決意を述べ、感謝の言葉で挨拶を締めくくりました。

義塾生当選者による招待者:初当選の2人の先生による挨拶

岡田悟先生(立憲民主党)は、兵庫7区から比例復活で当選した経緯を語り、政治家としての抱負を述べました。直近に行われた兵庫県知事選挙の結果について、「有権者の意思を尊重するべき」との信念を強調し、複雑な検証プロセスが有権者に十分伝わらなかったことやデマの影響について問題提起しました。

ジャーナリストとしての17年半の経験を活かし、「ファクトをわかりやすく伝えること」の重要性を訴えました。特に経済問題や103万円の壁の議論など、難解なテーマを国民に伝える役割を果たしたいと述べました。また、野田元首相との思い出として、オバマ元米大統領との首脳会談において、オバマ元大統領の高校時代の思い出の品を渡したというエピソードを挙げ、外交における野田元首相の温かみを感じたと語りました。

令和政経義塾については、党派を超えて意見交換し、心でつながる場としての価値を強調。多様な視点を学び合い、日本社会に貢献する政治家を目指す決意を述べ、最後に指導と支援を呼びかけました。

宗野創先生は、神奈川18区から小選挙区当選を果たした経緯を語り、支援者への感謝を述べました。政治家としての原点は、家族で10年近く続いた介護経験にあり、日本の社会保障分野を立て直すことを志として活動してきたと述べました。

松下政経塾41期生として学び、塾の先輩にあたる野田佳彦元首相の存在に敬意を表しました。また、令和政経義塾の場を「異なる分野や背景を持つ仲間と切磋琢磨する場」として評価し、学び合いを通じて成長する意欲を語りました。

平成5年生まれの宗野創先生は、自身が属する20代・30代の世代を「つながる能力に優れる世代」と位置づけ、その力を活かして政治や社会を変革する決意を表明。若手議員としての役割を担い、社会保障改革を含むさまざまな課題に取り組む姿勢を強調しました。最後に、講義を通じて得た知識を実践に活かすことを誓い、感謝の意を込めて挨拶を締めくくりました。

野田元首相による講義「政権交代こそ、最大の政治改革」

皆さん、こんばんは。御紹介いただきました野田佳彦でございます。

今回ここでお話しするきっかけは、今年の5月の連休明けだったと思います。船橋洋一先生から、「政治家を養成する人材を育てる組織をつくりたい」というお話がありました。船橋先生は「あなたは松下政経塾の1期生なので、その経験をぜひ話してほしい」とご依頼をくださいました。それでお伺いしたんです。

私は松下政経塾の第1期生で、創設者は松下幸之助さんです。私が政経塾に入ったとき、松下さんは85歳でした。「経営の神様」と呼ばれる松下さんが、将来の日本を憂い、「政治を正さなければ日本はよくならない」と考え、人材育成に取り組まれたのです。

会場に入ると、松下さんのような大先輩はいませんでした。代わりに、若い有名な経営者の方々が集まっていました。「今の時代、こんなに若い人たちが危機感を持っているんだ」と、ある種の衝撃を受けました。

その場で、松下政経塾での経験を話しました。ただ、それがどれだけ生かされたのかは正直わかりません。というのも、松下政経塾に入った時、カリキュラムが全くなかったんです。私は「騙された」と思いました。本当にそう感じました。

松下政経塾は5年制で、「当然カリキュラムがあって、学んでいけば力がつくのだろう」と期待していました。しかし、松下さんから最初に言われたのは、「君たちは大学まで出ているのだから、自分に何が足りないのか、日本に何が必要なのかを相談してカリキュラムをつくれ」というものでした。

このように、松下政経塾は自己発見と自立を重んじる場所でした。一方で、令和政経義塾には既に有名な講師が揃い、衆議院議員も4名誕生しています。仕組みは違えど、根底にある「このままの日本ではいけない」という危機感は、松下さんの思いと共通していると思います。

◎夢と志の違い

皆さんの話を伺って、「志を持った方々が集まっている」と感じました。「夢」と「志」は違います。夢は「お金持ちになりたい」「有名になりたい」「美味しいものを食べたい」という願望です。一方、志とは「世のため、人のために何かをしたい」という強い思いです。今日の皆さんのお話からは、それぞれのキャリアを踏まえた「志」がしっかりと感じられました。

◎政権交代というテーマ

さて、今日のテーマは「政権交代こそ最大の政治改革」です。今年の5月、私はこういったテーマで話をするとは思いもしませんでした。立憲民主党の代表選挙に出るとも思っていませんでした。「昔の名前で出ています」なんて言われたくないと考えていましたが、岸田政権の支持率が下がり、年内に選挙があるならば「政権を取れる可能性がある」という状況の中で、中堅や若手から「総理の経験を活かしてほしい」との要請があり、代表選に出馬しました。

結果、自公の過半数割れを実現しましたが、比較第一党にはなれませんでした。もし第一党になっていたら、私は内閣総理大臣になっていたでしょう。その場合、今日ここで話す機会はなかったかもしれません。

◎政治家としての原点

私が地方議員を目指したのは、松下政経塾での経験を経て、何が自分に足りないのか模索した結果です。ただ、卒塾後の27歳では、当時の年功序列や終身雇用の社会で即戦力になることは難しかった。そこで、フリーターをしながら活動費を稼ぎました。

29歳で県議選に挑戦しましたが、最初の集会に来たのはたった1人でした。その人も「間違えて来ちゃったかな」という顔をして帰ろうとするのを必死に引き止め、一対一で話をしました。この経験が私にとっての原点です。

松下幸之助さんに相談した際、「無理に人を集めようとするからダメなんだ。人がいるところに行って皿回しをやりなさい」と言われました。それを実践し、駅前での演説活動を39年間続けています。こうした地道な活動が、政治家としての基盤をつくってくれました。

◎地方議員から国政へ

私は地方議員時代、「お金をかけない政治活動」をどう実現するかを常に考えていました。たとえば、地元のイベントや盆踊りに手ぶらで参加しました。他の議員が会費やご祝儀を持参して挨拶をしている中、私はお金を持たずに出席しました。当然、最初は誰も私を紹介してくれませんし、挨拶の場もありませんでした。しかし、繰り返し熱心に足を運ぶうちに、「1回くらい話させてやろう」と機会をもらえるようになりました。

また、当時、町中には違法なポスターが氾濫していました。他の候補者は許可なく電柱や公共物に貼り付けていましたが、私は一切それをしませんでした。「法を作る者が法を犯してはいけない」と考え、徹底しました。その結果、最初は私だけだった「違法ポスターを貼らない運動」が地域全体に広がりました。

こうした小さな積み重ねを通じて、私は政治の現場で「正しさを示すこと」の重要性を学びました。しかし、地方議員だけでは限界があると感じ、国政に挑戦することを決意しました。

◎1993年 総選挙と政治改革

1993年は日本にとって大きな転換点でした。リクルート事件や金丸信氏の金塊問題などで、政治に対する信頼が失われていました。加えて、ベルリンの壁崩壊や冷戦終結、バブル崩壊といった国内外の変化が重なり、「政治を正さなければ日本は良くならない」という空気が広がっていました。

この総選挙で、私たち松下政経塾の仲間は新党の結成を目指しました。しかし、細川護熙さんが日本新党を立ち上げたことで、私たちもその方向性に賛同し、合流しました。この選挙では、地方議員出身の仲間が国政に進出するきっかけをつかみました。

その後、選挙制度改革と政治資金規正法の改正が行われました。中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への移行が決まり、選挙区が広かった私の地元も大きく変わりました。この制度改革は、政権交代を可能にする基盤をつくる重要な一歩だったのです。

◎2009年 民主党政権の誕生

2009年、民主党中心の政権が誕生しました。この背景には、「消えた年金問題」や、短命に終わった安倍・福田・麻生内閣への不満、さらにはリーマンショックの影響などがありました。こうした不安の中、「政治を正さなければ」という国民の期待が高まっていたのです。

民主党政権は「政治主導」を掲げ、官僚主導からの脱却を目指しました。しかし、この方針が空回りし、結果的に行政との連携が弱まるという失敗に終わりました。政権運営の基本は「政」と「官」が力を合わせることにあると痛感しました。

また、2009年の総選挙では「マニフェスト」が注目されました。私たちは教育の無償化や子ども手当などを掲げましたが、リーマンショック後の税収減により、すべてを実現することはできませんでした。それでも、高校授業料の無償化や子ども手当など一部の政策は形にすることができ、後の政権も踏襲する成果となりました。

◎政権交代の意義

政権交代の意義とは、「税金の使い方を変えること」にあります。民主党政権時代に教育や子育て支援に重点を置いた政策が後に他党にも影響を与えたように、政権交代は税金の配分を見直す絶好の機会なのです。

また、全世代型の社会保障を目指す中で、子育て支援や教育支援といった「人生前半の社会保障」が重要であると訴えました。昭和36年に構築された年金制度は、当時9人で1人を支える仕組みでしたが、現在は3人で1人、将来は1人が1人を支える時代に移行します。この時代に対応するためにも、支える世代の社会保障を充実させる必要があると考えています。

◎党首討論の重要性

2009年から2012年にかけての3年3カ月の民主党中心政権時代、党首討論は非常に重要な場でした。私はねじれ国会の中で、「党首討論こそ物事を動かす場だ」と捉え、積極的に活用しました。

特に谷垣禎一さん、安倍晋三さんとの党首討論では、議員定数削減や解散総選挙をめぐる議論が印象的でした。安倍さんとの討論は、今でもYouTubeでご覧になる方が多いようです。あの時は、「議員定数削減を約束することで解散を実現する」という重要な合意を得る場となりました。

党首討論は、ただの議論ではなく、「トップ同士が直接理解を深め、合意を形成する場」です。イギリスのクエスチョン・タイム(QT)を参考にした場でもあります。実際、当時のイギリス首相だったデーヴィッド・キャメロンさんとも意見交換をしました。彼からは「リラックスして臨め」「持ち時間を自分の言葉で締めくくれ」といったアドバイスを受けました。

党首討論の活用は、特に少数与党の時代において、膠着状態に陥ったテーマを突破する大きな力になります。これからの国会でも、党首討論を積極的に活用していくべきだと考えています。

◎信頼を取り戻すための政治改革

私は昨年の11月22日の予算委員会で、初めて裏金問題を取り上げました。当初は「うっかりミス」とされていましたが、私はこれが構造的な問題だと感じ、岸田総理に質問を投げかけました。それ以降、今年の通常国会では、この問題をテーマに4回、総理とやり取りをしました。

しかし、裏金問題の解明や政治改革は十分進んでいません。例えば、自民党では500万円以上の裏金を受け取った者には処分が下されましたが、その大半は「戒告」止まりです。「戒告」とは、厳しい言葉で言えば「こら、ダメよ」という程度の処分です。これでは政治への信頼を回復するには程遠いと感じます。

さらに、企業団体献金や政治資金パーティーの問題も中途半端なままです。このような状況では、国民からの信頼を得ることは難しいでしょう。私は、これらの問題に対する本格的な改革を年内の臨時国会で実現したいと考えています。

◎選択的夫婦別姓と再審制度改革

今回、注目されているテーマの1つが選択的夫婦別姓です。この問題は1996年に法制審議会が導入を答申して以来、30年間も議論が停滞しています。しかし、今回の国会では、法務委員会を野党が主導することで議論を進める機会が生まれました。

公明党も協力的な姿勢を示し、自民党内でも賛成する声が上がっています。もし党議拘束を外せば、一気に委員会で可決される可能性もあります。この30年間放置されてきたテーマが、ようやく議論の俎上に上ることは大きな進展です。

また、袴田事件を契機とした再審制度の改革も重要なテーマです。現在の再審法は大正時代に制定されたままで、冤罪を防ぐ仕組みが不十分です。例えば、初めに有罪を言い渡した裁判官が、再審でも審理を担当することが許されています。このような制度は非合理的で、早急に改正すべきです。

◎被選挙権改革の重要性

政治改革には、投票権の拡充だけでなく被選挙権の改革が必要です。現在、衆議院議員や市長は25歳以上、参議院議員や知事は30歳以上という年齢制限があります。しかし、投票権が18歳に引き下げられた今、被選挙権も引き下げるべきではないでしょうか。大学生でも、志を持っていれば政治に挑戦できる仕組みが必要です。

また、女性の被選挙権を広げるための環境整備も大切です。今回の衆議院選挙では、立憲民主党から多くの女性議員が当選しました。子育てをしながら選挙に挑み、世襲の候補に勝利した方もいます。こうした新しいタイプの政治家が増えることで、より多様性のある政治が実現するでしょう。

◎世襲の問題

最後に、私は日本の政治における世襲の多さを問題視しています。自民党の閣僚の半数近くが世襲であり、総理大臣も平成以降では菅義偉さんを除いて全員が世襲です。地盤や看板を受け継ぎ、地元の実情を知らないまま当選を重ねるケースが多いのは異常です。

特に問題なのは、政治資金を相続できる仕組みです。政治団体の資金を子や孫にそのまま引き継ぐことができる現状は、極めて不公平です。この制度を改めることで、もっと多様な人材が政界に参入できるようになるでしょう。

◎令和政経義塾への期待

令和政経義塾から、若い人や女性が政治に参画し、新しい風を吹き込んでほしいと思います。その際、立憲民主党はいつでも門戸を開いています。今日はリクルートに来たつもりでお話ししました。

以上で私の講演を終えます。ご清聴ありがとうございました。

講義後には質疑応答と懇親会の時間がありました。野田佳彦元総理におかれましては長時間にわたり参加いただきありがとうございました。